アニメ「覇穹封神演義」感想まとめ:構成がひどい、初見は無理、最終回がワースト回(2)

2.初見の場合、何が分からないのか分からないままネタバレだけ見せられ続けてしまう

初見ではきゅーを見てはいけない理由は主に3つあるのですが、まず大元の封神演義とはどういうものであるかを説明します。

封神演義は中国明代に成立した神怪小説であり、世界最古のSFとも称されています。ストーリーは仙人界と人間界の2世界をリンクさせた壮大なもので登場人物がとても多いうえ、ある程度は史実に沿って展開されている長編小説です。

フジリュー版はその長編小説を現代の若者が親しみやすく楽しめるよう、大勢のキャラや数々の武器(宝貝「パオペエ」と言います)をスタイリッシュにデザインし、基本的は重いストーリー(※)をギャグをも交えつつ軽快に、それでいて緻密に練った群像劇に仕上げています。
※元の文学は、こう言っては何ですが「爺さんが仙人や人を殺しまくる話」の印象

まさに天才。画力も構成力もハンパない。

なので凡人が下手にストーリーの時系列を入れ替えたりしてはならない。むしろうっかり手出し出来ない筈なのですが。
しかしここがアニメ「覇弓封神演義」を初見で見てはいけない理由の最も大きいところでありまして、その禁則をはきゅーは

第1話のアバン(オープニング曲の前に流す冒頭)からあっさりと破り、以降は毎回のように続く「時系列シャッフル」の嵐が始まってしまうのです。

問題点1:無慈悲なるアバン芸

アバンにおける「時系列シャッフル」とは、その話で初登場するキャラの死に際であるとか正体であるとか、キャラの根幹に関わる部分ばかりに先に焦点が当てられるというもの。本来であれば順繰りにストーリーを追って、後で話が盛り上がり驚くべきところで驚きたい重要場面ばかりが揃えられています。

それなのにキャラ設定の説明が全くされていないうちからネタバレを見せられることで、いわば「推理小説を読む前に犯人を教えられてしまう」状態にされてしまうのです。しかも、これがどういう意味を持つ場面なのかすら、その後は説明不足でよく分からないまま放って置かれます。

つまりは初登場でいきなり台無しということです。キャラも彼らに付随するストーリーも、です。

キャラとしては当然そんな扱いは受けたくないでしょう。でもストーリーが進むにつれ、こうした憂き目にあうキャラが何人も出現しているのが事実です。

これはストーリーの進め方としては最悪としか言いようがない。

もしレンタルなどではきゅーを借りて「あれ?第1話から話がよく分からないぞ」と思ったならば回れ右して以降の視聴は取り敢えず辞めましょう。

とは言っても「具体的にはどういう事象なの?」とピンとこないかと思われますので、
ジブリ映画だったらこんな劣化版な感じ。という例えを作ってみました。
(少々長いですがお付き合い下さい)

1「天空の城ラピュタ」パズー VS ムスカ

映画の冒頭でネタバレ。ラピュタ内部でムスカに追われ逃げ回るパズーとシータの緊迫した場面が流れる。

二人を追い詰め「もう逃げられないぞ」とほくそ笑むムスカのアップの後に映画タイトル表示。オープニングが流れる。

本編で敵のムスカはクローズアップされるものの、パズーとシータの出番は少なめ。それどころか出会いの場面はカットされる。また、お互いの信頼を深めていく過程は描かれていない。

2「千と千尋の神隠し」ハク

映画の冒頭でネタバレ。ハクが自分の出自を思い出すモノローグが流れる。
「そうだ、私の本当の名前はニギハヤミコハクヌシ。元は川の神だった。思い出した。昔、自分が川であった頃にまだ幼い千尋が溺れていたのを助けたことがあったのだ。」

千尋を川岸へと運んだ回想後に映画タイトル表示。オープニングが流れる。

本編はハクが過去を思い出そうと悩む場面がやたらと織り込まれ、誰が主役がよくわからない状態に。千尋はほとんど見せ場がない。

3「魔女の宅急便」トンボ

映画の冒頭でネタバレ。仲良くなった老女の家でくつろぐキキ。家政婦さんがテレビをつけると臨時ニュースが流れる。飛行船が突風で舞い上がるトラブル。そのニュースを3人で凝視しているうち、繫ぎ止めるロープをつかんでいる人々が次々と脱落し、ただ一人残った少年が飛行船もろとも空中へ舞い上がってしまう。

「トンボ?!」驚きで一瞬固まった表情のキキの顔をアップで映し、映画タイトル表示。オープニングが流れる。

本編では、飛行船のトラブル発生のさなか、慌てふためく町の人々やキキを心配するおソノさんといった場面や、画家の少女の個人エピソードまでもが延々と描写される。そしてやっとキキとトンボに場面が切り替わったと思った途端に一瞬で救出劇が終わる。

4「猫の恩返し」ユキ

映画の冒頭でネタバレ。猫の国からの脱出を試みる一行が、追手に追い詰められる。ネコ化したハルに焦りの表情が浮かんだとき、白猫のユキがルーン(猫の国の王子)とともに助けにくる。安堵したハルにユキが思わせぶりに「私はハルちゃんと昔会ったことがあるんですよ。覚えていませんか?」と問いかける。

思い出せないハルが「そうだったかな」と考え込むところで、映画タイトル表示。オープニングが流れる。

本編が始まってほどなく、過去のハルがユキを救出する場面が出るので二人の関係性はバレバレだが、その説明の場面(山場)は省略。そして終盤はハルが猫の国から脱出成功する場面を省略し、突然ハルが元の日常生活をおくっているところで終わる。

5「もののけ姫」モロの君(犬神)

映画の冒頭でネタバレ。息も絶え絶えのモロの君が映される。娘のサンが猪神に取り込まれ、どんどん姿が埋もれて見えなくなっていく。それを感じ取ったモロの君が深くため息をつき、次の瞬間全てのBGMやSEが消え彼女の声だけが響く。

「やれやれ。最後の力を温存していたというのに。」モロの君の目に生気が戻り、映画タイトル表示。オープニングが流れる。

本編では、モロの君の戦闘シーンは大幅カットで、どうして瀕死状態になったのかも最期を迎える場面も描かれない。

どうでしょう。やはり冒頭では重要場面を流す必要はなく、ストーリーをしっかり盛り上げたところで一回出てくるだけでいいとは思いませんか?また、アバンでネタバレさせたなら、しっかり回収して欲しいと思いませんか?

実際はきゅーでは最初のアバンでネタバレされた重要場面が、ストーリーで本来出てくるタイミングで当然ですが再度出現する。ということも起きています。そしてその時には二回目のため「ああこの場面はもう見たよなあ。」としか思えず、感動が半減している。しかもエピソードがそこにたどり着いた経緯もよくわからないままです。あまつさえ、その後は同じ場面が回想シーンとして繰り返し使用される事もあったりで、げんなりしてしまう。そういう残念なことも発生しています。

※でもアバンでネタバレしてそのままブン投げていた方が多かったですよ、恐ろしいことに。

問題点2:世界観の基本設定や人物相関の説明を全くと言っていいほどしていない

長編で、ある程度は史実に沿った歴史モノなのだから。人間界では国と国との敵対関係、そして仙人界の勢力図。また、それぞれの陣営に属する主要キャラたちの主従関係あるいは師弟関係の位置付け

そういった情報は、随所随所に説明が織り込まれているのは当然だろう。

普通ならばそう思うものですが、はきゅーでは当てはまりません。説明は、ほぼありません。「そんな馬鹿な。」と思われるかもしれませんがこれも本当です。
基本設定は触れられたとしても、雑にサラッと流されるだけでそのまま話が突き進んでしまいます。

初見の方は完全に置いてけぼり。(それどころか、昔に一読した人もどういう設定になっていったか思い出すのが困難なレベルです。)

放送時も1話目で初見の方たちが「何が分からないのか分からない」と視聴を切ってしまい、その後も話数を重ねるにつけ続々と脱落したようでした。ネットではきゅーを話題にする人が減っていったことで、それは実感としてあります。

(残ったのは、はきゅーが持ち直してくれるか心配して見守っていた既存ファンばかりです。彼らもまた、後述しますが心折れる状況が続いたため次第にだんまり状態になっていきました。)

ご新規さんを引き入れることにおいては、掴みは失敗していたと言わざるを得ません。

問題点3:アニメ「覇弓封神演義」はフジリュー版のダイジェスト(要約)ではない

フジリュー版は原作漫画の1話に盛り込まれたエピソードの、密度がとても濃い。それが204話もあります。しかしアニメ化にあたり、放送の枠は2クール(24話分くらい)分しか無いのが知れ渡っていました。なので放送前はこう思われました。

「原作漫画が長編でNHKの大河ドラマくらいのボリュームがあるのに対し、アニメ話数は2クール分しかない。さぞかしアニメ1回分につき、それぞれのエピソードを相当短くして詰め混むのだろう。無理矢理感があったとても致し方の無いことだ。」

難点があるとしても、全体に話が縮こまるだけで。まさか主要エピソードがバッサリと削られるとか、重要な位置付けのキャラがバッサリと削られるとか。そんなことは有り得ないだろうと、想像だにしていなかったのですが。

実はかなり削られてしまっています。

しかも、ここを決して削ってはならない、ここを削るとその後のストーリーに矛盾が生じかねない。また、この人物を削るとストーリーが成り立たない。この人がいないと、ストーリーの重要エピソードを紡げなくなってしまう。
そこをも色々と削っています。「それは話を作る上で自殺行為に等しいのでは。」と思われるかもしれませんが、本当です。

結果、話の前後が繋がらなくなる。話の辻褄が合わなくなる。そういったことが頻発しますが当たり前です。

本来はフジリュー版は、どのエピソードも他のエピソードに絡まる綿密な話で、登場人物の誰もが魅力的かつ主役級である群像劇なのです。削れるところは何処にもない。
だからフジリュー版の味わいを損ねているはきゅーは、初見の方が見るには全くもって向いていないのです。

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